百鬼夜行と一条通り
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付喪神とは

「陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化かして精霊を経てより、人の心を誑かす。これを付喪神と号すと云へり。」
(意訳:百年の長い年月を経た古道具は妖怪変化し、人を化かす。これを付喪神と呼ぶ。)という記述が『付喪神絵巻』という古い絵巻物(岐阜市の崇福寺蔵)にあります。これも室町時代の作品といわれています。

百年というのは長い年月を意味する目安であり、九十九年で変化するという説もあります。 九十九と書いてツクモと読むことがありますが、これは付喪神に由来するようです。
古来より日本人は自然界のあらゆるモノに神や精霊が宿ると考えてきました。
そして、人工物である器物にさえ、霊性を認めて大事にしたのです。

付喪神が出現し始めたのは、ちょうど製造技術が発展し、新たな道具類が大量に生産され、これまで使われてきた道具類が不要になり始め、それ以前に比べると大量消費的な時代に入ったからだと言われております。(参考:『憑霊信仰論』小松和彦著)
その当時、古いモノが化けるという信仰がある中、役目を終えて捨てられていく古道具たちに、人々は恐れとともに愛着をも抱いていたのではないでしょうか。
そんな人々の古道具に対する愛着の念を表すように、『付喪神絵巻』の付喪神たちは恐ろしい存在であるにもかかわらず、どこか可愛らしい姿で描かれています。また『百鬼夜行絵巻』の付喪神たちも、絵師が遊び心を発揮したように陽気で滑稽な姿をしています。それを表すように、「百鬼夜行絵巻」の付喪神たちは、恐ろしさよりも、陽気で滑稽で愛らしい姿が描かれています。

ちなみに、当時は煤払いと称して、年の暮れに屋内の煤や埃を払ったり、不要になった道具類を廃棄したりしていたそうですが(その風習の名残が、現代の年末にする大掃除に残っています)、『付喪神絵巻』によると、煤払いには、手持ちの古道具が付喪神に変化する前に手放すという目的もあったそうです。

その廃棄された古道具を神社仏閣で転売し始めたのが、京都で有名な東寺や北野天満宮の古道具市の起源であったといいます。(参考:『陰陽妖怪絵巻』荒俣宏著)

この市のおかげで、古道具たちは再び居場所を与えられたのです。左から、扇、釜、琵琶、琴、鉢、草履、鍋の付喪神

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